「ママ、ふつうのお仕事にしてほしい」
「ママ、ふつうのお仕事をしてほしい」
朝、4才の息子が放った言葉だ。
ドキッとした。
私のお仕事は息子にとって普通に見えないということを示唆していたからだ。
「なんでそんなこと言うようになったのかな?」
息子に逆に尋ねてみた。
「だってSくんにもFくんにもママのお仕事聞かれるんだもん、なんか恥ずかしいんだもん」
SくんのママもFくんのママも決まった時間に決まった場所で仕事をしているらしい。
都心では色々な職業の人がいる。
芸能人がママだとか、家にこもっているトレーダーがパパ、とかもあるだろう。
でも、わたしが住んでいるのは限界集落に当てはまってしまうくらいのど田舎。
となると、農家の方や工場で働く方が多い。
そんな中で、在宅でこもってたまに出かけたりもするわたしの様子は息子から見たら謎らしい。
息子は友達からママの仕事を聞かれたときになんて答えたらいいのか分からないのだ。
なるほど。
そりゃそうだ・・・・・・・
だってママ本人だって誰かから「何のお仕事されているんですか?」と聞かれたときに、なんて答えようって考えるくらいなんだから!!
あちゃあ。
でも自分の中では、自分の仕事の内容はけっこうはっきりしていて、
「自分の好きなことややりたいことをコンテンツにしてシェアする仕事」
という感じなのだが、それを一言で表せていないのが現状だ。
なので、もう少し、言い方を現在あるみんなが知っているような仕事に寄せてみようと思って
「webデザインなどサイト作ったり動画作ったりしています」とモヤっとした回答をすることが多い。
これならコンテンツをYouTubeに掲載したりWordPressに載せたりしているのだから嘘ではなかろう。
でも、大概、こういう回答をすると聞いた人は「ああ、どこかからかweb制作の受注をしているんだな」と勘違いする人が多い。
何ならたまに「じゃあ、うちもお願いしようかな」的な流れになってしまいそうになることもある。
まあいっそ引き受けたらいいのだろうが、「まんまある」的な信条として「自分がやりたいことだけをやる」的なものがぼんやりあったりする。
であれば、もしかすると「インフルエンサーやってます!」みたいに言い切るのがかっこいいのかもしれないが、
フォロワーがめっちゃ少ないので、全然インフルしていない(泣)嘘になってしまう。
結局のところなんていうのが子供にとって恥ずかしい思いをせずに済むのだろうか・・・・・・。
息子が朝、私に伝えた言葉「ふつうのお仕事してほしい」は私にとってけっこう重みのあるものでもあった。
正直、わたしは「普通」とか「一般的」という言葉が苦手だ。
その言葉たちは誰かが作った基準を押し広げるときに使われることが多い気がしているからだ。
はっきり言って、「普通」なんてものは地域が変われば、あるいは、時代が変われば、全然ちがうものになっていくではないか。
でも・・・・・・・子供から見たわたしの仕事は普通ではない。
大丈夫、何とかしよう、何とかしてみよう。
息子に言った。
「ママはね、もしかしたらふつうのお仕事に見えないかもしれない。
『ふつう』っていうのは、どこか毎日同じ場所に行って決まった仕事をすることをふつうって言っているのかな?
たしかにそういう人もいるかもしれない。でも、ふつうでもふつうじゃなくてもいいんだよ。
ふつうじゃなかったとしても、自分の好きなことをするのも仕事だし、好きじゃないことをがんばっているのも仕事だよ。
その人に合っている仕事っていうのがあるのだから、自由にやりたい仕事を選んでいいんだよ。
・・・・・・(まずい、とりあえず何か、わかりやすい友達への回答方法を息子に教えなくては!?)
友達にはママはパソコンでお仕事していて、色々なもの作っているよって言っておいて♪」
外に出てもよし。こもるもよし。会社に毎日行くのもよし。
人の望みは十人十色。
これからの世の中、みんながやりたいこと・好きなことを仕事にするのが当たり前になる!
それが「まんまある」という仕事になることを信じて日々やっていくのだ!
えいえいお〜♪
ところで君、仕事とかいってるけど収益化できてるわけ?
むむむ、それは今は聞かないでおいてよ(汗)
わかりやすいな君。
明るい未来に向けて、やっぱりここは、えいえいお〜♪
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