ちょっとむかし
だいとかいのタワマンに女がすんでおりました。
女には夫とのあいだにおさない子どもがいました。
いつもママチャリにのり
子どもをほいくえんへおくると
かいしゃへママチャリのままつうきんし
あくせくしごとをしていました。
しごとをおえると
またママチャリにのり
子どものおむかえをして
スーパーでかいものをし
タワマンにもどり
ごはんを作ってから夫のかえりをまち
ごはんを食べおわったら
ようやく夫と子どもの風呂タイムにひとりじかんをたのしみ
それからまた子どものねかしつけをして
女も子どもといっしょに
ねおちしてしまう日々がつづきました。
いそがしい日々でしたが
だいとかいのくらしはとてもべんりで
ミーハーな女も
そこそこにそのせいかつを気に入っていました。
あるいてウェスティンホテルのモーニングビュッフェをたべにいくこともあれば
やすみの日には子どもと夫といっしょに代官山のTSUTAYAをさんぽすることもありました。
だいとかいにいれば
いつだってきらきらしていて
やりたいことや食べたいものが手にはいりました。
しかしお金をかけているわりには
きもち的なゆたかさをえられている気がしませんでした。
もしかすると
タワマンのへやがせまいせいかもしれないと
女はかんがえるようになりました。
なんならこうがいにある庭つきの家のほうが
ちんたいタワマンよりもいいのでは
ともかんがえました。
いやいや
もしかするととんでもないお金持ちになって
いなかの大きな家ととかいのだいとかいタワマンの2つをもっていたら
いいのかもしれない
ともかんがえました。
いずれにせよ
じぶんがどこまでもじゆうになれるくらいのお金があればいいな
とかんがえました。
そんなことをぼんやりとかんがえているときに
かいしゃの社長がなくなりました。
かいしゃのようすはいっぺんしました。
それまでよりも
もっとしごとがたいへんになりました。
そのりゆうはますますふじゆうになったからでもありました。
女はサポーターとしてがんばっていこうとしましたが
ふじゆうでじぶんをみうしないそうになり
心がおれました。
けっきょく
しごとやめることになりました。
あらゆるものにたいする執着心がなくなったタイミングでもありました。
女のかんがえ方はさらにだいたんになりました。
しごとも すむところも ひびのじかんのつかい方も
ほんとうにわたしの好きなようにしよう!
なにかにとらわれるのは
もうやめる。
わたしは じかん的自由 くうかん的自由 けいざい的自由を手にする!
「まんまある」のはじまりはじまり。